ゲストルームに案内されて、まずは総重量40kg以上はあろうかと思われる荷物のひもを解き、調理道具、食材を取り出し、短パンとTシャツに着替え調理場へと向かいました。石畳の階段を下り、きらめく朝日に照らされながら、プロフェッショナルキッチンとよばれる12畳程の明るい部屋へ。

中央に製菓用の大理石の厚い板が組み込まれた作業台があり、4つの火口のガスコンロと鉄板、業務用の冷蔵庫、冷凍庫、コンベクションオーブン・・・。洋食の調理には申し分ないのでしょうが、魚を水洗いしたり、野菜を包丁して茹でたり、そばをしめたりと水まわりの仕事をするのにシンクがひとつだけ。しかもガス台からは一番遠い所にあるのはなんとも使いにくい。さらに製氷器が見当たらない、そういえば魚も氷がかかって無かったし・・・。そうか水道の水は飲めないので氷にしてもあまり意味がないのか!などと独り合点しながら あたふたと持ち込んだ荷物を整理していたのでした。
 瓶詰の包みを取りさり、あんを冷蔵庫に入れ、調味料を一ケ所に集め真空状態の鰹の削り節をもどしたり(旅行用の衣類圧縮袋に500gの削りを入れ空気を抜きましたが、見事にペチャンコになりました。その口を開けた時膨らんでいく様は実に感動的でした)。その間も頭の中ではこれから料理を作る3日間、6食の献立をいろいろ考えているのでした。

 その家の給仕兼私の助手、マノ。

 大遅刻をした事も忘れたように鼻歌を歌い、実に楽しげに雑用をこなして行く。思い付いた事や解らない事はとにかく何でも彼に聞きました。しかしながら喋っている本人でさえ良く解らない英語もどきは、彼に理解してもらうほうが無理な話で首を振りながら両手をひろげお互い笑いながら見つめ合って諦めるだけでした。そんな状態でも昼は2時に食事ができるように、家族4人分でスープとメインディッシュ、デザートを用意すればいいらしい。   

 “与えられたのは3時間。” 

 まずペットボトル4本分の水を鍋に入れ火にかけ、沸く迄に蕎麦打ちの準備、薬味の山葵の掃除、ねぎの小口切り。沸いた湯に削り節を投入、出汁がでる迄天婦羅にする野菜の包丁、出汁を漉して醤油と味醂をあわせ一煮立ちさせ追い鰹、大きなボールで鍋ごと冷しながら、手打ち蕎麦を作りはじめる。
 ‘蕎麦屋でないのに’蕎麦の本まで出してしまったその技術は、遠くミコノスまで寝不足のまま辿りついたのに、狂う事なく進むはずでした、が・・・。

 ボールで水回し、作業台でくくり、練り込み、麺棒をあやつって幅だし、にく分け、のしは細打に、たたんでまな板に移し(ここまでの作業で専門用語等分かりにくい場合は、レタスクラブ発行の1Day手作りシリーズ 「初めてでもできる そば打ち」をお買い求めになる事をおすすめいたします)、握り柄に鮫革を巻いた蕎麦きり包丁を取り出し、新聞紙にくるまれた黒柿を使った駒板をだそうとした時・・・。

 2枚の檜を合わせ、立上がり部分の黒柿が一体となっているはずなのに、3つに別れていた、壊れてしまっていたのでした。

瓶は危険だから手荷物に入れ直し 包丁、駒板は着替えの中に包んだのに・・・。うわさには聞いていましたが、預けた荷物はかなり手荒く扱われてしまったようです。

 「オーマイガット!」 

「マノ接着剤はあるか? 買いに行ってくる、それじゃ間に合わない。」

 持ち込んだ輪ゴムで元の形にしてみるものの、畳んだ蕎麦のうえをすべらせるはずの駒板が、ゴムがストッパーとなって動かなくなってしまう。失敗とか思いもよらない事態に向き合った時、‘今すべき事’を考え、どう取りかえすか、これが大切であると長年の経験で身についているようで、今回もなんとか駒板にラップを巻いてその場は凌ぎきり、見事細打の生粉打ち蕎麦に仕立てました。

 休む間も無く粗熱のとれた蕎麦出汁を漉して冷蔵庫にしまい、黒豆のババロアの仕込みに入ります。牛乳とゼラチン、生クリーム、きな粉を合わせタッパに流し込み冷蔵庫へ。刻々と時計の針が進む中、ホーローの鍋を天婦羅鍋替わりにコーン油を満たし、卵水に薄力粉を混ぜ込み野菜天を揚げ始める。蕎麦を茹でるのに鍋に水を入れると、手元の6本のペットボトルが瞬く間に空に。

 ジタバタジタバタ。

 そしてついにL氏の登場。

ちょっと小柄で口から顎に髭をたくわえ、短パンにTシャツ、さわやかな笑顔で
「はじめまして、大丈夫、元気!」と日本語、差し出された右手を握りながら、

「ナイスチューミーチュユー!」と、私。 

となりには私も見上げる程長身のスーパーモデルをしているというR氏の彼女、「ケンちゃんです、よろしく。」

 正しくはケンドールさん、L氏は何度か日本を訪れた事が有り、手土産の山葵、海苔、蕎麦を大変よろこんでいました。彼の両親と4人、岬の突端に設えられたテーブルにつくと、マノから料理を出せの合図。
 野菜天婦羅を大皿に盛り込み、鍋に蕎麦を入れ茹でる、冷蔵庫から皿に盛った薬味と蕎麦つゆをお出しする。
 ガス台から遠く離れたシンクに鍋をかかえて笊に蕎麦をあけ、蛇口をひねって洗う。
 最後に冷蔵庫のペットボトルの水を化粧水にして水きり、白いスクエアの皿に盛り分ける。
 続いてババロアの包丁。氷がなく充分余熱を取れずに きな粉が沈澱してしまった、けれど白いプレートに切り口を上に、黒豆の蜜煮を添え、黒蜜で皿の余白に線を描く、チャービルを一枚・・・

 「グッド!」マノが親指をたてて食卓へと運ぶ。

 興奮したまま 初めての仕事 野菜天せいろを出し終え、フーとひと息。手元の食材の片づけをしながら今後の展開に頭をめぐらせ、持ち込んだ食材、調味料、ミコノスで調達した頼りない野菜、情けない魚たちを見やるのでした。

 ご家族4名、食事を済ませ、にこやかに調理場に立ち寄られました。ご両親からご挨拶を受け、L氏から

「今晩は何時頃食事の用意ができるか、9時ころかな?」

 長旅の疲れ、睡眠不足、初めての異国での緊張感・・。今日の仕事をなるべく早く終わらせて横になりたい。ハァーーーと、長いため息とともに・・・

「8時からにしていただきたいのですが・・。」
「O,K。 少し寝た方がいいんじゃないか?何か使えそうな物は見つかったかい・・。」

 L氏は気さくに話しかけてくれ、私と簡単な会話を交わし、真っ青な空と海に溶け込んだ真白い建物に消えていきました。

 調理道具はマノとフィリピン人のネオニーラが直ぐさま片づけてくれるので、まずはこの後3日間、あと5食分のおおまかな献立を立てよう、今朝方見た商店で調達出来そうな物を思い出しノートに書き付けていきました。
 掻き揚げにしようと蒸したトウモロコシは堅く歯もたたない代物で、これはフードプロセッサーにかけてスープに使えないだろうか?冷凍の蛸は何かに使えそうだし、玉子、牛乳は買っておこう。海苔をことのほか喜んでいたし・・・。はた、黒鯛とおぼしき魚はおろして焼き物、蒸し物に、骨と頭は出汁をとって・・・。
 魚の‘水洗い’と言いまして、鱗と内臓をとってきれいに洗うのですが、なにぶんにも‘流し台’の無い調理場ですので大きいビニール袋の中で処理をしようと思ったのですが、

「下の海岸へ行ってやろう」とマノ。

包丁とまな板、ビニールに入れた魚2匹を持って道無き急な坂を岩場に向かって下り、足場の悪い波しぶきの打ち寄せる磯で水洗いをするのでした。

  見上げれば、突き抜ける青空にまばゆいばかりの白い四角い家がくっきりと浮かび、かすかに白い線を引いたように三日月がくりぬかれ、さらさらと流れる風はエーゲ海のかおり。海藻から立ちのぼる、しめっぽい潮のにおいのする日本の浜辺とは違い、強い日射しの中に心地よく肌をなで上げる、艶めかしい海を渡って来た空気のながれ。生活感のない、どこまでもリゾートのためにある島。
 そんな気分も束の間、キッチンに戻り水洗いをした魚を持ち込んだ出刃包丁でおろす。頭はなし割りにし、骨と共に塩をふりかける。切り身の良いところも焼き物用に薄塩。お米を研ぎ、日清の薄力粉と現地調達のバターと牛乳でホワイトソースを仕込む。持ち込んだ白小豆の餡をペットボトルの水と寒天でのばし水羊羹を流す。ベーコンをみじん切りにしてかりかりに炒め、煮抜き玉子を造る。
 玉葱のみじん切り、玉子の素、トマトの湯むき・・・。
 卸した魚の残りをフードプロセッサーにかけ擂り身状にし、新丈とはんぺん用に。マノは街へ出かけ、調理場に一人 右へ、左へ、ガス台と流しと冷蔵庫を行ったり来たり。包丁とフライパンとを交互に持ち替え、どうにか7時頃には見通しがつく。

  8時をほんの少し回った頃、ご家族4人が食卓へ。

 岬のダイニングは、食卓の上にローソクの火が灯され、電気の明かりは無く、篝火が4本、漆黒の闇に揺らめいています。
 L氏がワインを開ける

「シェフ、」

 ダイニングから声がかかる。前掛けを外し、ダイニングへ。
 グラスを進められワインを戴く。静かにグラスを捧げ

「サンキュー」

キッチンへ戻り、盛りつけにかかる。

白磁の六寸鉢、
‘ホワイトディープボール プリーズ’


この日の献立

 ○シーザースサラダ 

 ○トマトと魚のあらのスープ

 ○はたバター焼き、ホワイトソース・アスパラ,ヒラタケもどき

 ○焼き海苔とご飯

 ○ 白小豆水羊羹レモン風


 カチャ、カチャと ナイフ、フォークを扱う音が耳に響く。
 一品終わるごとに、マノが次の皿を暖めて並べてくれる。声を殺して
「ホワット、イズ ディス?」

手を動かしつつ、こちらも小声で
「ナンタラ、カンタラ。」

無意識のうちに英単語を並べて、説明しているつもり。
マノが‘分かったのか分からないのか’分らないが、お出ししながら説明しているようだ。

マノがキッチンに戻ってくると、彼用に用意した試食品を食べさせ、説明する。
「フィッシュ ボーン アンド ヘッド スープ。ライクア フュメドポアソン」

黙ったままで大きく頷く。
「ラウンド、オァ スクエア?」
「スモール ラウンド プレート プリーズ」

 ちょっと柔らかく炊きあがったご飯を四角い皿の中央にこんもりと盛り、焼き海苔を八ツ切りにして添える。岬の食卓は、時折風にあおられ、海苔が飛びそうになる。
 別の皿に山葵醤油を用意し、海苔をつけながらお食べいただく。

 ご飯を炊くのにプロフェッショナルキッチンにある鍋は厚みがありすぎ、その分蓋も重く圧力鍋に近い状態になってしまったようです。炊きあがりが柔らかくなってしまい、せっかくの新潟魚沼のコシヒカリに“ごめんなさい”。一発勝負の恐さを痛感しました。

 「ビッグ ボール プリーズ」

 サラダを盛り込むのに、大きめの鉢が欲しい。マノが察してくれたらしく、卵型のサラダボールと取り分け用の小鉢、大きなフォークとスプーンも持ち出してくれた。
 よくわからない菜っ葉を2種類、手でちぎってボールに敷き詰め、煮抜き卵を剥いて金ざるで漉してかける。フライパンでカリカリに焼いたベーコンを油ごと菜っ葉にかける。

 メインディッシュはハタとおぼしき魚の切り身に小麦粉をふりかけ、フライパンで焼く。事前に焼いておいた野菜と、大きめの角皿に盛りつけ、ほんの少し味噌味を忍ばせた、柔らかめのホワイトソースをかけて出す。

 そして、最後に ガラスの小鉢に、柔らかめの水羊羹を四角に切り出し そっと滑らせる。レモン蜜をはり、スプーンと共にマノが持ち出す。

 とりあえず、終わった・・・。
 静かに包丁や、食材を片しつつ 明日の事を考える。

「シェフ!」
 岬の食卓に行くと、L氏が握手で迎えてくれる。グラスにはデザートワインが。締めのワインも飲んでみろと進めてくれる。

 夜10時、調理場をでて岬の突端のベンチで横になり、長かった一日をぼんやりと思い返すのでした。
 遮る物のなにもない満天の星空のもと、火照った頬に心地よくエーゲ海の風が吹きつけ、耳に届くのは 静かに岩場に打ち寄せる波の音だけでした。
 朝4時に起きてから成田、フランクフルト、アテネ、ミコノス・・・。そして今、夢の中にいるような静けさ、こんな星空に包みこまれたのは遙か昔、燕岳の山頂に野営した時以来か・・・。
 白い壁の中にベッドと化粧台だけのゲストルームに戻り、大きくため息。枕元におかれたラジオからは全然わからない音楽が流れ、改めて異国にいるのだと実感。
こんな時広い銭湯の熱い湯船にどっぷりとつかり、湯気でけむった室内に響き渡るように

「ハァ-------- 。 」

と、一日の疲れの全てをはきだして、 顔をゴシゴシ・・

現実はシャワールームの床に座り込み、降り注ぐシャワーを頭から浴び、全身が暖まるようじっとしているだけでした。そして、鼻先からしたたる水滴に新鮮な苺をつぶしたような赤みが・・・    そう、鼻血がでてしまいました。

 備え付けの冷蔵庫の中にはコーラと野菜ジュース。
 
 「ビール、ビールはどこに」

 そういえば、キッチンの冷蔵庫にも‘ビールは無かった。そうかここには

「とりあえず、ビール」 はないんだ。